同人自己紹介


 河口夏実

今日は久しぶりに『パリ、テキサス』をしみじみと見ていて、なんて優しくつくられていく映画だったのだろうと気づきながら眠った。ふいに流れてくる音楽ならトム・ウェイツのInncent When You Dreamが似合うけれど、ニール・ヤングの「ハーベスト・ムーン」はカサンドラ・ウィルソンがうたうと、いつのまにか夏が近づいてくる木々みたいに感じられてとてもうつくしいのです。サラ・ヴォーンの3枚組の中からざくざくと取りだしたI'm In The Mood For Love、It never Entered My Mind、Bewitchedがいま私のウォークマンに入っていて、エラ・フィッツジェラルドもいいなあとイヤホンをしてみれば、チャーリー・チャップリンの音楽も流れる。

 

 佐藤 恵

久しく詩を書けずにいた。言葉はこの世界に散逸し、いまだに指さきをかすめていくばかりでもどかしい。反面、微塵に砕けた言葉が満ちたなかにいるのだと感じると、時折むせかえりながらも、この世界は新しい光に包まれた詩のようにも思えてくる。私たちは、それぞれに違った境遇を生きねばならず、誰も代わることはできない悲しみや苦悩を負っている。寄り添おうにも、互いの落差に隔てられている。他者の身の上やこの世界に起きた痛手に打ちのめされ、自らの無力さにうなだれるばかりではなく、その亀裂に、私たちの言葉はあたたかな涙のように流れ落ち、ゆきかうことができるだろうか。詩が、この時代を生きるために分けあう、ひとちぎりのパンとなることを願っている。(7号~11号)

  

 柴田秀子

1年中気がかりなことがあります。散歩中、買い物に出かけた時、草取りなどなど。あの植物はどんな色をもっているかとおもうのです。草、花、木、実を染め始めて結構経つが、此のことだけにのめり込んでいる訳ではない。しかし、去年あたりから次第に変わってきた。織る、染めるのに比重が逆転してきている。何をするのにも身体の健康は元よりなので、その時々の調子を聞きながら、ガンバル、良い加減にする、ほどほどに、が身についた、これ幸いと思いつつも、やっておきたい事は優先させたいな、と思う此の頃です。

 

 鈴木正枝

腰痛のリハビリのため、近くのプールに週二度ほど通っている。水中ウォーキングだ。この歳になると、どこに参加しても最年長になってしまうが、ここには、まだまだ先輩がたくさんいらっしゃるのでちょっと気楽。しかも彼らの泳ぎのみごとなこと!すいすいと早く美しい。それを横目で見ながら、いつか自分もあのようになりたいな、と思いながら、その「いつか」はもうないことに気づいた。やるなら今、でしょ!書くなら今、読むなら今、映画を絵画を観るなら今・・・・・というわけで毎日忙しい。

 

 田尻英秋

はじめまして、田尻英秋と申します。以前、「機会詩」(竹林館)と言う詩集を出したことがあります。横浜に住んでいて、福祉関連の仕事してます。こんな私ですが、よろしく。

 

 多田陽一(大城 定 )

いつもシャッターが下りている店がある。シャッターが下りきっておらず、下の方が少し開いている。朝晩、その前を通るのだが、その暗い隙間からは何の音も聞こえない。どうしたのだろう。誰も住んでいないのか。犬を散歩に連れた老人が通りかかると、犬はその隙間に鼻をつっこんで臭いをかいでいる。老人は少しの興味も示さずに引き立てて行ってしまう。這いつくばって、中を覗くこともできない自分。1年経っても何も変わらないその店が何か自分のような気がして心配になってくる。ふと、そのシャッターの下の隙間から、風が流れて転がってくるタンブルウィード。

  

 立木 勲

ヨンヒという韓国生まれの妻とふたりで横浜の小さなマンションに住んでいて、僕は彼女をヨンと呼び、彼女は僕をイサオと呼び、問題を僕は抱え、ヨンも抱え、ふたりして転げないように生きています。大手町のIT企業で働いてもいます。人が繋がる言葉を探し組み立て磨き上げて詩にしています。

 

 陶原 葵

同人、野木京子さんの詩集「クワカ ケルル」の「声の種」という詩に、「ひとはひとりで生まれてきてひとりで死んでいく/長いあいだそう思っていただろうけどそれはうそなんだ」という一節がある。「一人で生まれ一人で死んでいく」説は、出典があるのか、匿名の言い伝えか、私は知らないのだが、私も野木さんの詩に登場し発言する「妙なものら」と同様、長い間、それは嘘だと思い続けて生きている。ヒトの誕生の現場、狭い産道を通る胎児は苦しいといわれるが、そこには誰にも、痛みに耐える母がいたはずだ。子供のころ家族の記念日に、母はいつもお赤飯を炊いていた。大人になり自立してからは、自分の誕生日にお赤飯を炊き、母に届けることにしていた。ひとり、母だけが分かち持つ「時」の記憶のために。その母も今は亡い。久しぶりの詩誌参加です。痛み苦しみを、言葉が引き受けてくれるよう願いつつ。

 

 冨岡悦子

幼い頃から掌に載るものが好きだった。ボタンや紙せっけん、布の切れ端を手に載せて、ぼんやり眺めていた。なかでも好きだったのは、刺繍糸だった。母が刺繍枠の布に糸を通して、薔薇の花や葉を描いていくのを眺めては、余った糸をもらって並べるのが好きだった。何度も引っ越しを重ね、あの色とりどりの糸も紙せっけんも手元にはない。失われたものがこんなに鮮やかなのは、言葉とともに生活をしているからかもしれない。

 

 野木京子

日常のふとした瞬間に、姿のはっきり見えない〝詩の小人〟が、わたしの頭のなかで何人も整列して、お行儀よく、外に出る順番を待っているような気のすることがあります。あと何人ぐらいわたしのなかに残っているのだろうなどと考えることもあります。そういう小人たちと、これからも友達でいたいと思います。それから、若い頃わたしは自動二輪に乗っていました。アメリカを横断するのが夢でした。その夢は実現しませんでしたが、実現していたら、風に転がるタンブルウィードとも友達になっていたかも、などと変なことも考えます。

 

 宗田とも子

古道歩きで熊野速玉神社に向かう道は「なぎ」の並木道だった。この葉は平和と災難除けを象徴するという。カフェのスィーツには、濃い光沢の葉が1枚添えられている。ふいに平和を書き続けてきた「深いことを面白く」という作家のことがよぎった。劇団こまつ座の「イーハトーボの劇列車」のラストシーン 舞い落ちる雪のなかで「思い残し切符」のことが語られます。ひとが死ぬときやり残した思いを後のひとに受け渡していくという話です。私はザックの重さなど構っていられないと新宮駅までこぼしてきたことを思い出しながら歩きだしました。(1号~7号)

 

 若尾儀武

仕事を辞めたら旅に出ようと思っていた。四、五ヶ月。なるべく都会や観光地を避けて。しかし、いざそれを実行しようとすると、先行きに細々とした障害めいたものが立ち現れ、クリヤーする方法をあれこれ考えているうちに面倒になって諦めてしまった。もう五年経つ。そのくせ、思いだけは熾火のようにまだ見ぬ風景や人との出会いに駆り立てる。ほとほとヒトのココロとはやっかいなものだと思っている。