回想、身のまわりのこと、芸術あれこれ2020(下)

     

                     

 柴田秀子さんの詩 

                    立木 勲

  タンブルウィード同人の柴田秀子さんの詩集『遠くへ行くものになる』が届いた時、手にして一読し、「あれ、柴田さんの詩はこんなにいい詩だったっけ」と、失礼にも思ったことがあった。柴田さんは、朝日カルチャーセンターの現代詩の講座でしばしば僕の近くに座られ、僕は何年間も柴田さんの詩を近くで聴いていたのである。それから2カ月ほど経った頃、再び柴田さんの詩集を手にして、僕はやはり同じように感じたのである。

僕の手元のファイルには、これまで講座で皆さんからいただいた詩が蓄えられているのであるが、その中を探し、講座の中で柴田さんからいただいた詩と詩集の中の詩を照らし合わせてみることにした。こんなにいい詩だったっけ、という感じを確かめてみたくなったのである。

その中で見えてきたことがある。一編一編の詩がやはり良くなっているのである。

詩集を作るにあたり、掲載する詩を見直して手を入れることは普通のことであり、良くなるのは当たり前といえばそうでもある。けれども、磨かれて良くなったというよりも、一段優れた詩人が手をいれたかのような、そのように思えるところがいたるところにあるのである。

講座で提出された詩と詩集に掲載された詩の両方を手元に開き、言葉のひとつひとつを照らし合わせながら、僕は改めて読んでいった。

すると、柴田さんの息遣いが次第に感じられるようになってきたのである。特に、言葉と言葉の間に新たにスペースを一つ入れるというシンプルなところに、それは顕著であった。

柴田さんの詩は、講座に持ってこられる際、よどみなく流れる手書きであったのであるが、今般、詩集を作る過程で詩を見直されるにあたり、もしかしたらパソコンを使うようになられたのではあるまいか、と僕は思い始めた。

一つの新たなスペースを生み出すところで、柴田さんが、表現の形を試しそこでの効果に耳を澄まされ、また手を入れさらに耳を澄まされている、そんな息遣いを僕は感じるようになっていた。そして、そのプロセスが、一つのスペースの中に想いの溜めをつくり、同時に新たなリズムを生み出しているように思われた。そしてそれは、パソコンを使うことで容易になる特徴的な息遣いであるように思われたのである。

  *

このように書いて、しばらくの後、実際のところはどうであるか、尋ねればわかるがいかがしたものかと考えた。けれども、僕の中に柴田さんが息づいていたことは、確かなことであり嬉しいことであったので、そのままにすることにした。 

柴田さんの作品はいろいろな方に読まれ評価もされているのであるが、このように読まれるのも同人仲間ならではのことと思われ、喜んでいただけるのではないかと、多少身勝手に思う次第である。(12/15)                                    

 

空からのプレゼント 

                     多田陽一

 

 庭のすみで金木犀が散り、椿、山茶花、石蕗が咲いた。梅の剪定の時期である。夏の盛りに伸びきった徒長枝が群がっている。毎年、一本の老木を相手に四苦八苦する。歳を同じように重ねているはずだが、どういうわけか老木のほうは元気そのものだ。

脚立にのり、高枝切りで丹念に切っていく。一人ではやりきれない。連れ合いが見かねて、今年は私がしましょうという。空は高い。葉はすっかり落ちている。首がさぞ疲れるだろうと思うほどに見上げて、青をキャンバスに枝模様を整えていく。

――鳥の巣がある。ここ!

高枝切りの突端で指さしながら、彼女が振りむいていう。そのとき、さっと、小さな鳥のシルエットが枝の間から空へ翔けた。

――巣は空っぽみたい。

――いや、今、鳥が飛んでいった。

耳をすますと、小さく小さく雛鳥の鳴く声が聞こえる。

連れ合いは脚立から身を乗り出して、枝の隙間に作られた巣をうかがっている。私も脚立に手を添えて見上げた。巣が透けて青い空がちらちら燃えている。

――やっぱり空っぽ。

彼女のいうとおりだ。晩秋のこの時期に巣作りというのはおかしい。鳥の子たちはすでに巣立ち、もう用済みになった巣に違いなかった。葉が生い茂っていた季節に隠れるように巣があったと思うと、それに気づかずに鳥たちの営みを目撃できなかったことが残念である。

――来年の春に、この巣を使う鳥もいるかもしれないね。

そういって、彼女は高枝切りをひっこめた。それにしても、私はさきほど、飛びたつ鳥の影を見たように思った。雛鳥の声も耳にした気がする。巣と聞いて、思わす期待して覚えたまぼろしだったのだろうか。

気配である。時をこえて、感じられたのである。

生い茂る葉のなかで小さな命が育った事実。もちろん、鳥は勝手に都合の良い場所を選んだのだろう。梅は匿う気もなく葉を茂らせたのだろう。だが、果たしてそれだけだろうか。樹と鳥の、ひそかに交わされた約束。人間の耳には聞こえない、ささやきあうことばがあった気がする。

空っぽの巣が空からのちょっとしたプレゼントのように思えて、私は手をかざし、もう一度見上げた。(11/30)

 

彫刻通り 

       鈴木正枝

 

  今の集合住宅に越してきてから20年になるのに、すぐわきを通っている道路が、「彫刻通り」ということに気付いたのは、ほんの2,3年前である。どこを見て歩いていたのか、地面か空か人混みか、我ながら呆れる。

 横浜駅西口広場から四方に何本か伸びている道路の中のひとつ。余所見をしていてぶつかったのが、「彫刻通り」と書いてある小ぶりの金属の柱だった。えっ、どこ、どこ、と辺りをきょろきょろ見ながら歩いて行くと、なんとなんと巨大な金属製のオブジェが、そこここにあるではないか。

 最初は「上昇」というタイトル。直径1、5mはあろうか、二つの金属の玉が仲良く台座の上に乗っている。一つがもう一つの中に少しだけ入り込んで。すぐ側の二つの手摺には、雀が四羽ずつ並んで囀っている。もう少し行くと、今度は長方体のきらきらした長い棒状のものが、蛇のようにくねって、天に向かって伸びている。棒状といっても幅1メートルはある。地面に近いところではとぐろを巻き、ふいに鎌首をもたげたような先端は二つに割れている。高さは5,6m、少し離れて二つある。タイトルはない。なんだか触ってみたくなるような滑らかさだ。

 もうこれで終わりかと思ったら、どうしてまだまだ。今度はもっと巨大だ。真っ黒に塗った立方体の柱がねじれて、先端はきれいに正方形に切れ、ビルの3,4階くらいまでの空間を占領している。タイトルは「飛躍」。夜になったらよじ登る人がいるかもしれない。そこから飛び立つ?だがあまりに太くてしがみつくので精いっぱいだろう。次は「動き出す球」私はこれが一番好きだ。大きな球が両脇を抉られて、ぎゅっとねじられた様な。リンゴをまるのままかじって芯だけ残った様なかたち。直径2メートルもあるりんごだ。いつか朝おきたらいなくなっているかもしれない。最後は「みんなげんきに」これだけは金属ではない、御影石(?)。滑らかに磨かれた大小の円盤状の石が、アトランダムに二列に並んでいる。かくれんぼが出来そうだ。 

 「彫刻通り」はここで終わって、環状1号線にぶつかる。北に行けば鶴見、南に行けば保土ヶ谷、1号線に沿うようにして旧東海道がひっそりと、どこまでも続いている。(11/15)

 

ドリームキャッチャー 

                       河口夏実

 

  先日、ハワイアンの雑貨店で、ドリームキャッチャーというお守りがついたアームバンドを買った。毎日のように使っているリュックをストラップとか、ワッペンなどでデコレーションして華やかにしたくなったのだ。

 アームバンドだけど、やわらかな紐で編まれているから、リュックに結べそうだし、とりわけきれいなオレンジ色が気に入った。タグを見ると、ドリームキャッチャーの由来が書いてある。「ネイティブアメリカンに伝わる、良い夢をつかまえるお守り。言い伝えでは悪夢は網に絡めとられ夜明けと共に消え去り、良い夢だけが網目から羽を伝って、眠っている人のもとに舞い降りてくるといわれています。」

 急速にコロナが広がりだしてから、職場と家の行き来以外は、ほとんど出歩かなかった。食料品などの買い物もさっと済ませて帰るのが日常になり、気ままに歩きまわる楽しさもしばらく忘れ去っていた。

 雑居ビルのなかを通り抜けて見あげる秋の空は、酷暑だった今年の夏の記憶を薄くして美しい。よく行ったお蕎麦屋さんがお店を畳んでいる。パチンコ店もシャッターを下ろしている。ながく親しんでいた町の景色が欠け落ちていくようで、せつなくなるが、久しぶりに外で食事もした。

人に前世があるとしたら、なぜか自分はインディアンで野原を駆けまわって、星空に満たされながら眠っていたと、ふっと思った事がある。どうしてインディアンだったと思うの?と聞かれても答えようがない。まえに友達にこの話をしたら笑われてしまった。

ドリームキャッチャーは、その由来と共にうっとりと時間をかけて伝わって、偶然に手にとった人の心を慰めてくれる。他にも何色かテーブルに並べられていて、ブルーもすてきだと思ったから、店員さんに色に込められた意味はあるのですか?と尋ねたところ、特にないそうだ。

 夢はハッピーエンドで終わるだろうか。そんな事もあったねと、言い合う日が早く来るといいのに。そう願いながら暮らしている。(10/30)

 

羅布麻は美しいらしい 

        柴田秀子

 

  毎夏、8月の初めには木曾開田高原の「麻布を織る家」に出かけていた。ここの会員と行政が共に、この地に伝承されている麻布をつくり続けるため苧麻(からむし)の種を植え、丁度夏の季節には背丈ほどに伸びるので、ころ合いをみて皆で刈り取る。繊維になる皮を剥しやすいように幾日かの工程を経る。最後は麻かきをする、一日イベントになるので、この日ばかりは会員の方以外に県外からも参加する。私も仲間に入れてもらっていた。今年は残念無念、コロナ禍ということでお邪魔しなかった。やはり残念、水に浸した苧麻にも触れられないのだから。

通常「麻」と呼んでいる植物は、驚くほど種類が多い。苧麻、亜麻、大麻、黄麻、羅布麻、パイナップル、バナナ、アバカ、サイザル、マオランなどなどがある。分類の仕方、生産地の呼び方によっては、もっともっとある。

中国で「植物繊維の王」と賞讃する羅布麻(らふま)は絹のように細いので、高級品やファッショナブルな物に使われる。まだ写真しか見たことがない。

羅はうすものの意。衣類で思いつくのは、事があると着物を着た母の夏羽織、濃紫と黒をもっていた。子供ながらシャリシャリとした手触り、向こう側がすっかり見える透け感が心地良かったことを覚えている。

1986年研究者が中国へ行ったときは、この繊維羅布麻に日本語名は無かったとか。がっかりし又ショックを受けたことだろう。

コロナ禍による「お家にいましょう」が、最低の不愉快な時間にならないように過ごしているつもりだが、その結果は不明。しかし、麻のことには一層親しくなったと思いたい。(10/15)         

                                    

「廃墟化」と深井克美 

        田尻英秋

 

  今、『「人間以後」の哲学』(篠原雅武・講談社選書メチエ)という本を読んでいる。この本では、現在の世界規模の環境問題などの諸問題を、人間的秩序を外れたところで進展していく世界の変化の兆候としてとらえ、その理路を探っていくもので、とりわけ今、近代的な世界像が終焉し、人間を中心としない世界、人間的尺度を外れた世界が始まるとしている。「人間は、広大な非人間的世界のなかの、ごく一部に住みついている。この現実感覚にふさわしい世界像の形成が、現代において求められている。」(P.70)。この本のなかで「廃墟化」という概念が取り上げられていて、この「廃墟化」は単なる人為的産物の崩壊――地震や天災で建物や構造物が壊れるなど――という物理現象のみならず、「崩壊しつつある人為的産物としての人間世界を逃れ、その崩壊後を見据えて新しい生き方を始めた者たちが散乱しつつ集まるところに成り立つ新世界のことを意味」(P.81)し新しい生活の拠点となるところである、としている。

ここまで読んだところで唐突に、以前展覧会で見た深井克美(1948年~78年)の絵を思い出してしまった。深井の絵は廃墟や、ガラスや廃材など人間の作ったものにより人体が毀損されたり、肉体の崩壊感覚やあるいは事物と人体が融合したモチーフが多い。その絵は痛々しさと同時にある種の聖性を帯びている。そして画面全体は仄暗いながらも優しい光に満ち溢れている。代表作『オリオン』では抱擁しあう男女?をモチーフとしながらも、崩壊しかかった肉体や木切れともつかない異物が融合しあい、異様ながらもある種の純粋さが感じとれる。この痛みを伴う感覚は画家自身の不幸な境遇や病苦とも関わるのかもしれない。

この本では「ハイパーオブジェクト」という言葉も取り上げられている。これは発泡スチロールやプルトニウムなど人間の時間間隔と相関しないところに存在し、とどまり続ける事物のことである。今の世界の、存在の不安の根底には、人間の尺度を超えたものにとりまかれて浸透されていたということへの気づきがある。世界の変容は、人間のあり方を脆くしていく。

深井の絵は今の世界の状況と直接的な脈絡はないのであろうが、その「脆さ」や世界のとらえ方において通じるものがあるのでは、と勝手に解釈してしまうのであった。(9/30)

   

遠く、来て 

       若尾儀武

 

 小さい頃からよく夢をみる質(たち)だったと思う。といって、根拠はない。他人に夢見の回数を聞いてそれを比較したわけではないし、みた夢を話して「お前はよう夢をみる奴ちゃなあ」とあきれられたわけでもない。何となくそう思うのである。これは、私の育った村に関係しているのかもしれない。私の村は近在の村の中で一番小さかった。だから、夏休み、お宮の境内にいても「遊ぼ」と言って寄ってくる子はほとんどいなかった。私はカナカナの声が大きくなったり小さくなったり、遠ざかったり近づいたりするのを聞いて過ごした。夢は満ちない心の代償だったのかもしれない。

 それはさておき、夢をよくみた。総じて子どもの頃は怖い夢が多かった。逃げて逃げて、逃げおおせなくなったところで目が覚める。それが次第に変わって現実との接線をもったようなものに変わった。義憤を感じるようなものもあれば、憧れを脚本化したようなものもある。時に、何が悔しいのか、何が悲しいのか涙を流していることもある。

 ところで、最近、今まで思わなかったことを思うようになった。それは、夢の終わり方である。少し前までは、夢の終わる場所が具体的にみえた。村の入り口とか出口とか、改札口とかプラットホームとか。ところが、同じような夢をみても最近はそれがみえない。見えないというより無いのである。

 胸の高さまで上げたあの手はどこにあるのだろう。

 問いがまたひとつ、増えた。                        (9/15)