回想、身のまわりのこと、芸術あれこれ2022(上) 

 
 

 

 雨と弾丸

                         冨岡悦子

雨が降らなければ、虹は生まれない。アナログフィッシュは、「No Rain No Rainbow」と歌っている。2015年のアルバム「Almost A Rainbow」に入っている曲だ。このところ気づくと、「No Rain No Rainbow」と呟いている。雨の夜も、青空の下でも、乾いた風に吹かれても、呆けたみたいにくりかえしていて、我に返る。

 「ノーレイン ノーレインボウ」が耳について離れないのは、2月末から、弾丸が雨のように飛ぶ映像を何度も見たからかもしれない。雨あられと飛ぶ弾丸の背後に、弾を撃たなければ解決の道は見つからないと考える指揮官がいる。

雨に弾丸を重ねる連想は、歌の作者の意図から大きく逸脱している。アナログフィッシュの歌詞全体の文脈では、嫌なことがあっても、それがあるからこそ希望も見えると読める。その意味では全くの誤読なのだ。

 「ノーレイン ノーレインボウ」からの私の連想には、それとは別な糸もぶら下がっている。ベルトルト・ブレヒトの詩だ。『三文オペラ』を書いた頃のブレヒトではなく、ナチの迫害から逃れて亡命を重ねた時期のブレヒトの詩である。ブレヒトは亡命地のデンマークの漁村で、さかんに詩と脚本を書いた。スペイン内戦の国際義勇軍に参加する女優ルート・ベルラウにも、「朝と晩によむために」という詩を贈っている。

 

私を愛する男が

私に言った、

ぼくはあなたが必要だと。

 

だから

私は気をつけて

道を歩き、

雨のしずくさえ怖れよう、

撃たれて殺されてはいけないから。

 

前半と後半が問答になって、愛を伝えあっている。「私を愛する男」とはブレヒトのことで、「私」はルート・ベルラウを指している。作者ブレヒトが、女優ルート・ベルラウの気持ちを代弁する格好の書き方だ。戦地に発つ女性に向けて、生きて帰ってきてほしいと男は言っている。今から85年前の1937年に書かれた言葉だ。

雨が降らなければ、虹は生まれない。弾丸の雨のあとに虹のかかる美しい未来があるとは到底思えないが、人の心が戦争機械に踏みにじられてなるものかと思う。今朝届いたニュースの真偽を疑いながら、身体の中で震える泥を見つめている。(5/15)

 

 

 

 

 

形式について、そして私の中で詩を書く人

                         立木 勲

先日、自分の詩の形式(構造)について考える機会があり、稲川方人さんの『詩と、人間の同意』(思潮社2013年)を開き、強く心に残っていたところを読み返した。この本はいくつかの散文で構成されているが、強く残っていたのは、「アシナガバチが巣を捨てた夏、私も住む家を探しながら、命の最期を正しく生きたわが猫のために泣いていた」(p268)という文である。

 その文の終わりはこのように書かれている。「そのあとのシンポジウムに出席した私は、ただ『破壊すべきものは破壊しよう』とだけ言った。しかし、何をどんなふうに壊しても『悲しみ』と『怒り』だけは残る。それが生きている者の姿の本質だと言いたかった。生の形態において消えることのない『悲しみ』と『怒り』に、私は残された自分の『詩』の時間を賭けてみる。命の最期を正しく生きたわが猫のために、巣を捨てたアシナガバチの一群のために、バッテンのついた肉親たちのために、そして人間の未来の、あるべき一日を、あるべき姿で生きることのできるわれわれの真の機会のために。そこに書かれる言葉が『詩』にもならず『文学』にもならなくても私はなんらかまわない。」(p271傍線は筆者による)

 最初にこの部分を読んでから、三年半が経つ。

今回、読み返してみたところ、この文章の向こうから、私に向けて、最初、このような声が聞こえてきた。「さて、あなたについて考えるならば、まず、あなたはあなた自身の賭けるべきものを自らの内に聴かねばならない。次に、あなたが線を引いたところであるが、そこに込められた内容と重さを今のあなたが知ることは難しいだろう。それゆえ詩を書き始めて間もないあなたにあえて言うのであれば、あなたは形式(構造)についても学び、表現の力を磨くことにも努力しなくてはならない」と。

  

そんなことがあって数日後のことである。

私は、大きなスクリーン上に、明朝体で書かれたシンプルな詩がゆっくりと流れていくのを眺めていた。三つほど流れた頃、どこからかヨンの呼ぶ声が聞こえてきて、そのせいなのか、「あ、今、僕は自分の夢の中にいるのだ」と、突然に自分の今を知った。(自分が今、自分の夢の中にいることを自覚することは、思春期の頃まではたびたびあったことである。けれども、長いこと無いことである。)

そうであれば、目の前を流れるこれらの詩は、夢の中で夢の中の私が書いているものであった。私は、もう一人の私がこの世界のどこかにいることを確かに感じ、改めて流れる詩に目をやった。

集中して見ればぼやけるかとも思われたが、そうでもなく、くずれることなく詩は目の前をゆっくりと流れている。けれども、ヨンの声は次第に大きくなってきており、目覚めの時は近いと思われた。

コロナの災禍の中で、私は自分なりに掘り下げたテーマで詩を書き続けてきており、そこではいくつか苦しい事柄も対象としてきている。けれども、スクリーンの上を流れる詩は、そういう私とはおよそ関わりないところで、別の詩人によって静かに書かれたものであるようであった。

流れる詩を記憶し目覚めの世界に持ち帰ることがよぎったのであるが、もう消えようとするこの短い時間の中ではそれは難しく思われ、けれどもそれ以上に、私の中にもうひとりの私がいて、そこでも詩を書いていることが嬉しくなり、その世界はそっとそのままにして置こうと思った。目覚めの世界で生きている私はその世界での詩を書き、でももう一つ別の詩を書く男の世界が私の内に、私の気づかぬところにあることは、大層素敵なことと思われた。

そんなところで目が覚めた。ちゃぶ台の脇に枕を抱えて私は座り、ヨンがおしんこを並べろと皿を目の前に差し出している。

   

形式や構造を強く意識することは、ともすれば背負うものを形式に従属させる危険をはらむものと思われる。けれども、昼の世界でその難しさに挑みながらも、私の中に、そんなこととは関わりなく、もうひとり健気に詩を書く者がいるのであれば、そしてそれを忘れなければ、この取り組みはうまくいくかもしれないと思われた。

 

   *

 

このようにこのエッセイを書き、それからたびたびパソコンを開き、私は自分のエッセイを半ばぼんやり眺めてきた。すると、最後の四行がどうもしっくりこないのである。黙ったままの私に、私の中のもうひとりの私は、今は何を語ることもないのであるが、「俺は俺の詩を書いている。あんたはあんたの詩を書くしかないんじゃないのか」と、ぼそっと言うような気もしてくるのである。

私はずっと黙ったままである。すると次第に、このようにも聞こえてくるのである。「なによりも大切なことは自分が何をどのように背負っていくかということである。その重さに耳を傾け正しく向きあうならば、形式(構造)や表現はあなたのものとして、おのずと生み出されてくるに違いない。そのようなものとして手にいれることが、あなたにとっては、まずは大切なのである」と。

目覚めの世界の私は、「そうですね。今の私はそこまでです。でも、そうであれば私はそれを磨きます。その過程での努力を惜しまずに」と、黙ったままで小さくうなずいているのである(4/30)

 

 

 

 

 

  生命のレール

                         多田陽一

自宅近くの自然公園を歩いた。ようやく春めいてきて、樹林からの風が心地よかった。下草を刈りこむ作業を、一人で黙々とする人の姿を見かけた。ボランティアの方か、それとも市に委託された業者の方か。ごくろうさま、と声をかけて通り過ぎる。

藪の面には山吹の花が連なり、黄色い灯を点している。シロダモの木の、項垂れたような白い葉も目立つ。幼い葉が緑色に染まって立ち上がるのはまだ先のことだ。秋には小さな花をつけ、赤い実になるのにはさらに一年かかる。季節という乗り物に乗って、生命がたどるレールがある。

ウクライナで戦争が始まって、一か月半あまりが過ぎた。何千キロ離れていようと、もし核のボタンが押されれば、世界はウクライナとロシアと運命をともにするだろう。そのとき、今ある生命のレールは壊され、思いもしない別のレールに置き換えられてしまうのかもしれない。そう考えると、何気なく楽しむいつもの散歩がこの上なく愛おしいものに感じられてくる。

福島の、「通行制限中 この先 帰還困難区域について 通行止め」と書かれた立て看板の写真を見たことがある(写真集『コンセントの向こう側』中筋純 小学館 2021)。白い花をつけた雑草が一面に群れて、看板に襲いかかっている。別の写真では、草や蔦が空き家の壁を這いあがる。著者は「この地を覆い尽くしていく緑」を「傷んだ地球を優しく撫でる母の手」とも、「未だ治癒しない傷を修復するための「かさぶた」のように見えた」とも記す。だが、そこには人の気配がない。置き去りにされた自動販売機や自転車、車のフロントガラスにも、日常生活を送っていた人びとの痕跡を拭っていく自然の手が写し出されているばかりだ。蔓延る緑が存在しても人は住めないという世界が、核戦争後の世界の前触れのように現れている。

わたしの足もとには、陽のひかりを受けて、ハナニラの可憐な花が咲いている。静かな沼には、空を旅してきたカモの番が羽の下に頭をもぐらせて眠っている。長旅の疲れをいやすカモを見て、深く息を継いだ。空の高みから地上を俯瞰してきた鳥たちは、ひょっとしたら、あの破壊された街々を目にしてきたのかもしれない。(4/16)

 

 

 

 

 

  語る手

                        鈴木正枝

ふくらんだ桜の蕾に春の雪が降った日、本箱の片隅に隠れていた『手の美術史』(森村泰昌編

著)を手に取った。わずか一六、七センチ四方、厚さ二センチにも満たない本の中に、一五、六世紀から二〇世紀までの絵画の、手の部分のみを切り取った複製が百二十枚前後入っている。

絵画の直接の解説は僅かしかない。掲載作品一覧が最後に付いている。表紙はカラヴァッジョの「キリストの埋葬」その何本かの手の部分が白い丸で切り取られて、白地の裏表紙の同じ位置に再現されている。最初の六ページは小さく切り取られた手の部分の写真で構成され、この中にこっそり森村氏自身の作品がしのばせてあるのが面白い。

 手といえば、まず思い浮かぶのがダ・ヴィンチの「モナ・リザ」、この本も本文はここから始まっている。心引かれた手を選んでみる。「モナ・リザ」は勿論のこと、様々な欲望と懐疑の手が入り乱れる「最後の晩餐」のテーブルの上、デューラーの祈る「使徒の手」(これは無彩色)、グリューネヴァルト「キリストの磔刑」釘で打ち付けられた苦悩する両腕には無数の針がささっている。ティツィアーノ「悔悛するマグダラのマリア」の豊かな胸をおさえるふっくらとした両手、そしてミケランジェロ「アダムの創造」神の右手の人差し指と、アダムの左手の人差し指がまさに触れようとしている瞬間、カラヴァッジョ「女占い師」「リュートを弾く若者」の血の通った今にも動き出しそうな手、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「大工の聖ヨセフ」の蝋燭の炎をささえる健気な子供の手、リべーラ「十字架を担う聖アンデレ」の暗闇に浮かぶ一本の右腕、同じく「デモクリトス」のペンと紙を持つ厳しく禁欲的な美しい両手、ジェラール「アモルとプシュケ」は手のみで充分その神話的美しさを表している。そしてドラローシュ「殉教した娘」の水に浮いた死体の縛られた両手、ロセッティ「プロセルピナ」柘榴を持つ左手に添えられた右手、ゴッホ「ジャガイモを食べる人たち」薄暗い電灯の下で、ジャガイモにありついている節くれだった何本ものたくましい労働の手、この実物をゴッホ館で観たときは、その現実生活の迫力に、これがゴッホ? と思うほど衝撃を受けたのを思いだした。そしていきなり二十世紀にとんで、ひと目でわかるシーレのあの指、手、腕「黒い靴下を履いた半裸の女」、ダリの、どうしても謎解きをしないではいられない「ナルシスの変貌」、そして最後は、自分で自分の手を描いているエッシャー「描く手」。本誌に選ばれている作品が十六、七世紀のものが多い。やはり宗教、神、祈り、手ということで、画家にとって手の存在が大きかったのだろうか。

 複製写真には題も作者名も添えられていないので、始めて観る作品は掲載作品名と照合しないと分からない。この手はあの有名な作品のあの手、とすぐに分かったとしても、必ずしも惹かれるとは限らない。切り取られた手がそれほど魅力的ではない場合も多々あるからだ。今回初めての作品で心引かれたのはリベーラの作品だった。腕そのもの、手そのものが何か使命感を帯びた厳しさと、観る者に語り掛けようとするような意志が感じられた。あくまでも私感にすぎないが。多分画家がどれだけ手の存在に心を込めたかによるのだろう。(目は口ほどに物を言う)というが、(手は顔ほどに物を言う)のではないだろうか。森村氏はこんなことを書いている。

「手に注目すると、顔が邪魔になる。こうなったらしめたものだ。顔に気をとられることなく、

絵がながめられるからである。顔ではなく、手が指し示す闇や空、水や火や樹々を見よ。絵の世界のなんと豊富なこと。人間の世界のなんとちっぽけなこと。」

この文に納得しながら、やはり一番印象深く、いつまでも忘れられないのは、「アダムの創造」である。あの指と指が触れようとしているまさに瞬間、たとえばそれが、神とアダムの指でないとしても、キリスト教的天地創造の世界ではないとしても、その緊張感は伝わってくると思う。手は持ち主から離れても、その指の動き、他の指との絡み方、喜んでいる手か、悲しんでいる手か、苦悩している手か、いたわっている手か、沈黙している手か、生きているか、死んでいるか、全てを饒舌に語ってくれるからである。(3/30)

 

 

 

 

  星が近くで

                        河口夏実

本の整理をしていたら、佐藤さとるの『だれも知らない小さな国』が出てきた。ずっと捨てられずにいて、ある日懐かしい友達にばったりと道で会ったような、そんな気持ちになって、ぱらぱらとひらいた。

これは戦前から戦後にかけてのはなしで、主人公のぼくと、こぼしさまとの間に起きる心温まる物語だ。こぼしさまとは、小さな、小さな人で、小指よりも小さい人。むかし悪い神様から二つの村を守ってくれたという言い伝えのある人たちだ。アイヌの言葉ではコロボックルと言って、ふきの葉の下の人という意味がある。

主人公のぼくは、もちの木を探しているときに偶然、うつくしい小山を見つけ、たびたび遊びにいくようになる。いつかこの小山を買って小屋を建てようと、夢を見るようになる。

はじめてこの本をひらいたのは、小学生の高学年のころか、中学生になってからだっただろうか。自分のまわりにも、例えば勉強机の引き出しのなかとか、鉛筆削りのそばに、こぼしさまが潜んでいるのではないかと想像して、顔をあげることがあった。

佐藤さとるの『だれも知らない小さな国』のシリーズはこの後、何冊か続いて、他に『おばあさんの飛行機』も好きな本だった。でもいま手元にあるのはこれだけで、久しぶりに手に取ったら、ずいぶん古びているが、大切なものを見つけだした気がして、カレンダーの写真をブックカバーにしてかけた。

春が廻ってくると、赤い椿が小山に咲き、月が満ちれば小山をあかるく照らす。川のなかを、音を立てないように歩いていく場面は夏のはじめだろうか。記憶の浅いところや深いところにある風景が、一瞬、日のように降り注いできて、はっとする。

主人公のぼくはそのうち成長して、大人になり、せいたかさんと呼ばれるようになる。物語のなかの時計はいつも、ゆっくりと進んでいくけれど、本当は広がっていったのかもしれない。いつか見惚れた夕焼けのように。

むかし、せいたかさんが建てた、小山の小屋に憧れていた。なぜか、樹齢千年くらいの大きな木が思い浮かんで、それを見あげる自分がいた。星が近くで瞬いていた。(3/15)

 

 

 

 

  私の手仕事

                        柴田秀子

このところ滞り勝ちな「私の手仕事」をしようと思い立った。漠然としているが、必ずしも暮しに必要とするものでなくても良しと決めたこともその理由になる。

 街には既成の衣類、新しい素材の品物が溢れている。今や私達は「物」を必要なだけ、種類、分量のみ整える役目に追われていないだろうか。そんな中にあって「生活上の必要性」の他にプラスと思える何かが欲しい。

 それにはワクワクと楽しんで作ることにあると思う。「縫う、編む、織る」などの糸偏が付く仕事は運動になり強い神経を作ると思う。気が休まり、緩やかな時間帯をぐるりと張り巡らせてくれる。

 大分前になるが、スウェーデンのヘムスロイド(家庭内手工芸)ではこんなことが続けられていた。「毎日少しの時間を手仕事に充てよう」。例えば「裂き織りのカーペットを織ること」と手工芸の記事が載っていた。

 手作りをしようと思えばすぐにでも始めたいが、技術的なことが出来ないから無理という形式にはまってしまうのは残念。取り敢えず手持ちの糸、布、紐、釦などなどを並べて眺めてみよう。幸いにもピーンとくる手技があるなら、先ずは始めてみる。面白いものが芋蔓式にアイディアを伸ばしてくれる筈。

 以前スウェーデンに行った。明確な目的を持つ「手仕事の家」に十泊した。数種類の手仕事を天井の高い家で寝泊まりしながら、興味深く考え、ひとえに作ることに集中した。かけがえのない濃い時間を持った。「完成」を目的にするだけでない良さを味わった。これらを含めて、生きるために持っていたい感興の一つであったかと納得している。織りの家の外を見るともなしに見ていたら大麦の穂が風の中で輝いていた。

 二十年程前にはせっせと歩き回っていたあの時間と風景はどこへ行ったのか。二年程前からのスティホームに始まってそれが長引くにつれ、それ以来の気持ちも暮しも縮まり、弾力を失くしている。しかし、どうにかして変化させよう。

 自分が面白いと思える事を見つけよう、探そう。赤い糸一本でもいいから振り回してみよう。実行は明日からでも辷り出せるようにしたい。

中々書けない種類の手紙の一部分として読んでいただけたら嬉しい。 (2/28)